しみこむ広島

先日の坂上さんのリサイタルの打ち上げでお会いしたテューバの田中眞輔先生とは広島出身ということで、盛り上がった。
ボクは日本中を転々とする子供時代を過ごしたが、生まれは広島市内の爆心地からほど近いとある病院である。
そうは言ってもボク自身は直接被爆していない。昭和46年生まれだ。でも祖母と母が二次被爆しているので、かろうじて被爆者二世だ。
ところが田中先生は昭和20年生まれで、しかも爆心地から1kmのところにある鷹野橋で被爆した。倒壊した家と祖母に抱かれていたおかげで直接熱線を浴びることはなく命は助かり、その後も目立って放射能による被害もなく今日まで元気にテューバの先生をしている。大変強運な方である。
田中先生の父上は警察官で、パトロール中に被爆し、その年中に亡くなった。ボクの祖父も警察官だったが、当時は近くにある大竹という街で署長をしていたので直接被爆はしなかったが、戦後広島の東、それから西警察署の署長を勤めて街の復旧にあたった。年齢も近く、田中先生の父上とも知り合いであったろう。祖父の無念とともに、先生との不思議な縁を感じた。
 
ところで父親たちの疎開先を田中先生に聞かれたので「作木村です」と答えたら
「君、そのサ〈ク〉ギっていう発音は広島弁だよ」と指摘された。
「そうなんですか〜」と感心していると
「その、ソウ〈ナン〉デスカも広島のアクセント。やっぱりしみ込んでるもんははなれんのじゃねぇ」と言われた。
広島自体に住んだことはほとんどないのに、親から受け継いだ言葉はやはり何処へ行っても離れないものなんですね。