『日本のクラシックのフライヤはダサいからデザイナー総とっかえしろ』問題の私見

『日本のクラシックのフライヤはダサいからデザイナー総とっかえしろ』ツィートとその反応諸々を見るにつけ、この四半世紀の自分の仕事が全く力不足なんだなぁと落ち込んでいます。
ただ、言わんとすることは分かる部分と、全く分からん部分もあります。

まず、分かる部分。これはクラシック系業界の構造的な問題なのですが告知情報が煩雑すぎる点です。殆どのクラシック公演の場合、フライヤの表面に公演名・日時・会場名(とアクセス)・出演者・全演奏曲・チケット購入情報・後援等表記・主催連絡先を一通り掲載することがセオリーとされています。

特にチケット購入情報の煩雑さは天下一品です。これらはアーティストと関係業者との複雑な持ちつ持たれつの状況を如実に反映しているとも言えます。また最近は加えて来場の際の注意事項やダイバーシティ対応に関するサービス表記を事細かく入れたりします。クレーム文化日本ならではとも言えます。

もう文字情報だけで表面が埋まってしまうのです。裏面もアーティストプロフィールやプロダクションノート的な文面でパンパンになってしまいます。優先順位とタイポグラフィのメリハリの利かせ方を間違うと何処を見れば良いのかも分からない全く伝わらない情報になってしまいます。

そういったモリモリの文字情報に負けて主催におけるアーティスト写真の扱いも「この人が出ます」くらいの情報認識になってしまい、公演イメージをアップさせるビジュアルとして効果的にデザインをするというチャンネルになりにくいのかもしれません。

また予算的な問題として公演制作毎にそれに相応しいイメージのアーティスト写真を改めて撮るということがほぼ不可能ということもあります。実際、日本のクラシック系音楽の公演数は世界でもトップクラスなんだそうで、全体の需給バランスの問題も考えられます。

他にも色々あってキリがないので「分かる」についてはここまで。次に「分からん」行きます。

仕事柄、海外の公演告知のポスターやビジュアルなどに接する機会があるのですが正直、海外(っても具体的にどこよ)カッケー、日本ダッセー、という感じではないです。他国のクラシック公演における宣伝美術にもダッセーものも相当にあります。

なので海外公演のポスターなどで自分がカッケーと思ったものだけを集め、日本のダッセーと思うものと比べて、海外カッケー日本ダッセーと言うのならもう比較ディレクトリ混乱の極みです。人類学専攻のゼミ発表でこれやったら教授から大目玉を食らいます。

つまりクラシック公演の宣伝美術は、日本にもその他の国々にもカッケーのとダッセーのがある、それだけです。

ただ、特にヨーロッパ諸国についての公演の告知デザインにおいて、文字情報はかなりシンプルであることだけは確かです。これは、ヨーロッパにおけるクラシック公演(彼らの伝統音楽でもあるんです)の構造的な慣習とも無関係ではないのですが、その話はまた別の機会に。