音楽という仕事

ちょっと変わった飲み会をした。若手〜中堅の音楽に関わる色んな仕事の人が集まってザックバランに話などをする会を作ろう、というものだ。オーケストラのマネージャーや企画制作、マネジメント事務所の営業、コンサートホールの企画制作、楽器屋、作曲家、デザイナーなどである。本当はプレイヤーなんかも呼びたかったけど*1、都合がつかなくてまた次回にした。
「音楽」ってどこまでいっても実体のないコンテンツである。コンサートでのライブ演奏などは特にそうだ。事前に告知しても商品そのものは「ない」。信用と期待感だけを売りにチケットを買ってもらう。ある指定された日に指定された場所で演奏家が楽曲を演奏した瞬間に商品が発生し、瞬間に消えて行く。聴衆はその商品を実体として受け取らないまま帰路につく。
しかし、この音楽を聴衆に届けるには実に多くの人の手を経なければならない。作曲家は楽曲を、プレイヤーは演奏を、マネージャーは機会を、ホールは場所を、楽器屋は道具を、デザイナーはイメージの伝達を。それぞれはひとつ欠けても聴き手に「音楽」が届かなくなってしまう重要なパーツなのだ。
ほかにも作曲家が書いた譜面を浄書する人、演奏された音や映像を記録する人、それを流通させたり放映したりする人々など、実に多くのプロフェッショナルの手を経て初めて音楽は「コンテンツ」として成立する。でも音楽って究極、振動が聴覚で認識されることに過ぎないのだから実体はない。
ボクらの共通の不安は、実体のない音楽という商品が、ちゃんと消費者である聴衆に、高いクオリティで届いてくれるか、ということである。
作曲家の某君が言っていたのだが、それぞれのプロフェッショナルは自分の専門技術を発揮して音楽の仕事に取り組むが、自分が取り組むべき「クオリティの高い仕事」と、それを受け取る他のセクションが考える「クオリティの高い仕事」の間にズレが確実に発生している、ということだ。このズレって確実にボクらの商品である「音楽」の質を劣化させている。それぞれは「良かれ」と思って取り組んでいるにも関わらず、だ。
ボクらが今後とも集まって考えて行きたいことの問題の一つはここにある。普段隣あっているのに、それぞれが専門化しすぎて分かりにくくなっているお互いの仕事を、コミュニケーションや勉強などし合っていかないとクオリティが劣化してしまう。作曲家から営業まで、連携をとって音楽の質を高めて行きたい。
という話もしたけれど、半分はバカ話でした。今後ともよろしうに。
次回はどこにする? 何食べる? 本当に自転車部発足するの? 石垣でダイビングするの? シンシナティS.O.と野球大会?

*1:唐突なんだけどね、音楽の仕事を野球チームに例えるとプレイヤーってピッチャーだよね