崖の上

観たよ、ポニョ。
昨日の夜中にネットでシネコン予約して。
日曜の朝イチから親子に混ざって。
 
感想。
 
良かった。
 
ストレスゼロ。つまりいい意味で「考えさせられない」。
 
ボクは、ボクをご存知の皆さんの想像を遥かに超えてアニメ『ーション』マニアです。アニメートされた作品が大好きなのです。
よく語られる事ですが、通常の映画は動いているものを撮影して、例えば1/24(秒)コマに映像を固定する作業です。微分ね。でもアニメーションは止まっている画像を1秒間に12コマ*1積み上げて動画にする作業です。つまり積分。止まっているものに命を与えるのがアニメーションです。ラテン語(anima)が起源です。そういえば音楽用語(てかイタリア語)の「animato」は「生き生きと」ですね。少し話がそれた。
つまり、宮崎駿さんがこだわっているのは「動く」ことによる「喜び」という至極単純なパッションです。これは昔から一貫している。ホント昔から。そこには環境問題だの少女の自立だのということはどうでもよいです。これは確か本人もおっしゃってたこと(文献確認中)。これがどういうことか知りたければ東映動画時代の「太陽の王子ホルスの大冒険」や「長靴をはいた猫」、Aプロダクション時代の「パンダコパンダ」、そして皆さんご存知の「未来少年コナン」や「名探偵ホームズ」、ポニョ以前の劇場用長編では「紅の豚」を目に穴があく程観やがれってんだ。
 
絵が動く生命力そのものが彼の作品の魅力です。それ以上もそれ以下もない。だから子供でもわかる。
勿論、それ以外の社会的な部分もあるし、ネタバレになるのであまり言いませんが、ある種の怖さやオドロオドロしさを感じる人もいるかも知れません。でもこれって子供の頃に単純に感じたことでしょう。おばあちゃんの大切にしている市松人形が怖いとか、夏の山の曲がり角の向こうが怖いとか。
生命力にあふれたものは怖いんです。生は同時に死を孕んでいるから。
ボクたち大人、そう、ちょうど30代くらいの大人は最も死から遠い所にいます。ところが子供や老人は違う。背後に、眼前に「死」を感じながら「生きて」いる。彼の作品はアニメーションという装置を使って直接的・間接的にその感覚を呼び起こしているのです。「動く喜び」を物語に昇華している。難しく言うとこうですが、世の優れたアニメーション作家、ロマン・カチャーノフやイジー・トゥルンカ、ヤン・シュヴァンクマイエルやシルヴァン・ショメやティム・バートンや川本喜八郎や山村浩二などなど、彼らの作品には当然のように溢れている感覚です。
是非、そういう人の作品たちと同じ風に観て下さい。
考えないで。

*1:日本の多くの劇場用リミテッド・アニメーションの場合。フルアニメーションの場合は24コマ。ちなみにテレビ用などは8コマ。最近はどうか知りませんが、koz、読んでたら教えてちょ。