誰が吹奏楽を殺すのか(1)

 

 
吹奏楽ブームである。
『ブラバン甲子園』は昨年のゴールドディスク大賞を獲得し、それに続けとテレビ・映画・ヒット曲の吹奏楽版がCD化され話題になっている。
学校の部活動も社会人バンドによる活動も人気、吹奏楽コンクールを中心としたその感動的なシーンは『世代を超えた青春活動』として度々マスコミにも取り上げられている。
年末にはシエナ・ウィンドオーケストラと東京佼成ウインドオーケストラという、在京のプロバンドによるジョイントコンサートも企画され、イベントとしても盛り上がりを見せる。
 
なのにボクはあえて言う。
《日本の吹奏楽は瀕死である》
 
今を去ること十数年前、吹奏楽コースの某専門学校で吹奏楽アカデミーを受賞した吹奏楽雑誌の編集長が講演をした。吹奏楽の明るい未来について語ってもらう依頼だったのに、実際の内容は『吹奏楽に未来はない』。モチロン学校関係者からは総スカンを喰らった。
 
十数年後、彼の予言はハズレたのか。イヤ順調に当たっている。
このままでは日本の吹奏楽はみんなが望んだあらゆる要求に応え続け、誰もが望まない形で終焉を迎える、ハズだ。
いや、少し言い方を変えよう。このままでは日本の吹奏楽は世間に消費し尽くされ、飽きられ捨てられ忘れられてしまう存在になるだろう。 
ミスター・ウィンドアンサンブル、フレデリック・フェネルが世を去って4年。芸術としての側面を失い、終焉に向かって暴走し始めた日本の吹奏楽の今と未来を、デザイナーという少し変わった立ち位置から、十数年わたり業界に関わってきた者として考察していきたい。(続く。あー、書き始めちゃったよー。終わるんか?)