四： お手本としてのプロフェッショナル
機動性と再生力の高いプロフェッショナルの吹奏楽団が20世紀中盤のテクノロジーの発展と共に一般の鑑賞用としての役目をほぼ終え、世界では典礼と慰問の役割を担う軍楽隊や警察などの音楽隊以外は殆んど姿を消した今、何故日本には多くの民間のプロフェッショナル吹奏楽団が存在するのか。
趣味の習い事において、トレースする「お手本」はとても重要である。お師匠から与えられた課題を、いかにお手本通りにトレースできるか。茶道・華道・書道など、日本におけるお稽古事の基本構造とアマチュア吹奏楽団のそれとはとてもよく似ている。
またツアー・プロとレッスン・プロが存在し、重層的なヒエラルキーと複雑な利害関係を持った状態でエンドユーザーであるアマチュア・プレイヤーにまで裾野が広がる構造は、ゴルフ業界とも似ているとも言える。
日本の吹奏楽愛好家の特徴として「愛好家自身も楽器を演奏する」という傾向が挙げられる。鑑賞のみ、という人はとても少ない。 彼らの殆んどは何処かしらのアマチュア吹奏楽団に所属し、指揮者も兼ねる指導者の下、日夜練習に励む姿が一般的である。
アマチュア吹奏楽団には「指導者」という立場のポストが存在する。指揮者や音楽監督（プロ・オーケストラのそれとは随分役割が違う）、バンドディレクターとも呼ばれる。スクールバンドの場合は各学校の部活動の顧問、大学や企業や市民の吹奏楽団の場合は契約したレッスンプロが指導にあたることが多い。
彼らの指導のウェイトの多くは、毎年開催される全日本吹奏楽連盟主催の「吹奏楽コンクール」において楽団が優秀な成績を修めて上位大会に出場することに割かれる。それ以外は各楽団が開く演奏会の指導などだ。 この「吹奏楽コンクール」こそが日本の吹奏楽において最も影響力のあるイベントだ。何を進めるにもコンクールの論理が大なり小なり働く。
アマチュア吹奏楽団の中で頻繁に使われる言葉に「デモ音源」「デモ演奏」と言うものがある。これは自分たちがこれからコンクールやコンサートで演奏する楽曲の手本（デモンストレーション）となる演奏の録音の事を指す。
さて、その「デモ音源」「デモ演奏」の提供こそが日本のプロフェッショナル吹奏楽団の実質的な役割となっている。 つまり「トレースすべきお手本」である。 今や世界でも屈指の（アマチュア）吹奏楽大国となった日本は、それだけ多くの「お手本」を必要としているのだ*1。これが日本に多くのプロフェッショナル吹奏楽団が存在する理由である。
毎年春になるとその年の吹奏楽コンクールの課題曲をプログラムに入れたコンサートがプロ楽団によって日本全国で開かれる。CDもコンクールの自由曲やコンサート向けの楽曲を収録したものが発売され、楽譜の販売と何かしら連動していることが珍しくない。これらの殆どが「コンクールや演奏会のお手本としてのプログラム」だ。
デモンストレーションとしてのプロフェッショナルと、家元としてのレッスンプロ（指導者）、多くのアマチュア弟子（団員）、そしてそれを取り巻く楽器・楽譜・音盤・のメーカーと流通業者、イベントの企画提供やコンクールやコンサートの録画・録音・撮影などを行う業者・・・。
エンドユーザーであるアマチュアプレイヤーに「心地良くお稽古ごとである吹奏楽団の活動を消費していただく巨大なサービス業」として日本の吹奏楽業界が成り立っているとも言える。
売れる音楽は「演奏して程好く本格的な気分が味わえる耳心地の良い音楽」であり、売れる演奏家は「手に届かなそうで、手に届く（一緒に共演して貰える・面倒を見てもらえる）演奏家」だ。
となると業界の傾向としては、ユーザーの最大公約数が求めるニーズを追いかけることになる。
そうではなく、アカデミックな作品の提供を高度な演奏技術で提供すべきと考えている楽団や業者もいる。しかし、アカデミックな管楽アンサンブル作品など、一般的なアマチュアには演奏が困難だったり楽譜の入手が困難な楽曲はユーザーから敬遠される。 売れないのだから、台所事情も厳しく、有能な人材も確保しにくいのが実情だ。
産業としての吹奏楽はエンドユーザーとしてのアマチュアプレイヤーの嗜好性に左右されるのだ。
ただ、ひとつ言えることがある。アマチュア指向の業界において、ユーザーの嗜好性を優先しすぎた市場展開をすれば、過剰なサービス競争とユーザーへの見下し的な甘えが生まれ、主たる提供製品（音楽そのもの）のクオリティは必ず劣化し、ひいては業界そのものを先細りさせる。吹奏楽という産業に未来を見い出し、投資や啓蒙を怠らず音楽としてのクオリティの維持向上を目指すか、それとも未来を諦めてなるだけゆっくりと市場を食い潰していくか、業界を生きる私も含め、もう少し真面目に考える時期にある。
*1:また、毎年音楽大学から輩出される多くの管楽器プレイヤーの受け皿としても機能している。
