誰が吹奏楽を殺すのか(番外編)

先日、吹奏楽に関わる色んな職業の人と新年会をする機会があり、そのうち吹奏楽譜のコピー問題に話が及んだ。
学校の課外活動やアマチュア楽団の吹奏楽の現場において、大量の違法コピー譜が出回っている事実は、一度でもアマチュア演奏者として参加をした経験された方ならご存知だと思う。中には10個近くの蔵書印が押されたコピー譜を見たことがある。まるでパスポートだ。まさか原譜が次々と売り渡されて捺されていったとは考え難い。コピーにコピーが重ねられたのだ。
当たり前の話であるが、出版譜は著作物である。出版譜を演奏するということは大概、自分ではない他人の作品を購入して演奏するということで、勿論タダということはあり得ない。
さて、日本の教育吹奏楽やアマチュア吹奏楽団に関わる人々の著作者に対する意識の低さ(無関心さ)はヒドイものがある。彼らのうちどれほどの人が、あんなに口では崇め奉っているマルコム・アーノルド編曲作品の、レスピーギ編曲作品の、フィリップ・スパークの、アルフレッド・リードの、はては比較的手に入れやすいニューサウンズ・イン・ブラスさえ「原譜」を見たことがあるのだろうか。課外活動に参加している学生*1や、新入りの楽団員ならまだしも、顧問や幹部さえ怪しい場合がある。
「自分たちはアマチュア演奏家だから、どうせ大した演奏出来るわけないし」と言う理由を述べる方々もいるが、それは自分は作家ではないから本は全部立ち読み、という理論に近い。
 
「楽譜出版社が連名で、楽譜を購入しましょうっていうキャンペーンを雑誌で張って、啓蒙していこうか?」
「でも、『買え買え』だけじゃ、ユーザーのメリットがイマイチ分かりにくいんじゃない? お前ら業界が潤いたいからなんだろって言われるだけで。」
「経営努力で譜面の価格を抑えていく態度をしめすとか?」
「というか、コピーされ続けるんじゃ今の価格を保てるのかすら、怪しいよね。」
「不正は回り回って自分たちの首をしめることになると。」
「新しい譜面が出版できなくなるからね。」
「でも、大半のユーザーはそもそも新しい楽曲を求めてるのかな。」
「エンドユーザーとしては新曲より『学生の頃演奏したあの曲』の方が好きなんだよね。知らない曲は今度の課題曲以外興味もない、というか。」「だから、『あの時の楽譜は母校にあるからコピーしてもらえばいい』っていう発想になるんだね。」
「懐かしいあの楽譜をお店やネットで購入しようって気にはならない。」
「だから悲しいかな、雑誌って『どうしたら楽譜の不正コピーを無くせるか』って記事より『どうしたらバレずに不正コピーを手に入れられるか』を載せた方が売れちゃうんだよね。」
一同、「そうなんだよねー」とはなったが納得した訳ではない。
 
さてさて、酒の席ゆえ堂々巡り。今回は主に送り手の人たちの集まりなのでこういう話になったが、受け手の立場に立つとまた違った局面が見えてきそうだ。
日本の吹奏楽の問題のひとつにコンシューマーサイド(一般愛好家)、ビジネスサイド(楽器メーカーや出版・興行)、アートサイド(演奏家)、エデュケーショナルサイド(学校吹奏楽)の立場の違いからくる思惑のズレがある。何か最終的なところでお互いの信頼感がないのであろう。もしくは逆になぁなぁなのか。
どちらにしても何か風穴が開かないと、新しい流れはないかもしれない。それが吉と出るか凶と出るかは音楽の神ミューズのみぞ知る、と言ったところか。

*1:そういうことを含めこれから勉強していく身ですから。最初から意識があるわけないです。そういう意味では罪はない。