ボクは自分を恥じた。

子供の頃、父の転勤で三年毎に引っ越しをしていた。
小学校は三度、中学校は二度変わった。
高校は反抗期でもあったのだろう、
引っ越すと分かると親を説得して下宿生活を始め
家族が乗る連絡船*1を見送った。
 
三年毎に友達を一から作らなければならない子供時代は正直辛かった。
その度に新しい地で虐められるのではないかと。
その度に別れた地で忘れられるのではないかと。
しかしこの困難は元々内気だったボクの社交性を鍛え上げ
忘れ去られることにある種の諦めを持たせた。
良い意味でも悪い意味でも。
 
ある日、facebookのメッセージに見覚えのある名の投稿が入っていた。
プロフィールを確認すると、
そう、小学五年生から中学一年生まで共に過ごした友人からだった。
ボクはこれまでも幾度となく、
インターネットの力を信じて少年期の友人たちの行方を探していたが
見つからずに諦めていたのだ。
 
彼はボクが転校してきた五年三組のクラスメイトであり、
小学生ながら二年間、共に漫画の同人誌活動を行い
共に卒業し、同じ中学校に入学し、
どこの部活動に入るべきか迷っていたボクを吹奏楽部に誘った。
つまり今のボクの全ての活動の原点が彼と共にある。
 
しかし、忘れられていると思っていた。
ボクは途中で去って行った人間であり
刺激と出会いが常に新鮮な
皆の青春の思い出の数々に
埋もれていく花弁の一枚に過ぎぬ。と。

それが今日こうして向こうから現れた。
無邪気に嬉しくなり、メッセージの返信と共に、
こちらから「友達申請」を出した。
OKの返事は間もなく来た。
 
facebookというのはご存知の方も多いと思うが「友達」同士になると
互いの投稿が互いのページに流れる仕組みになっている。
 
翌日の彼の投稿は、彼の書いている外部ブログへのリンクだった。
そこには、思いもよらぬことが書かれていた。
 
彼は、ボクをかたときも忘れたことなどないと、そこには書かれていた。
今でも彼の持ち物、趣味、志向の中にボクとの思い出があると。
ことある毎にボクを思い出すのだと。
facebookでボクを見つけたとき、
寧ろ自分は忘れられているのではないかと葛藤したこと。
メッセージを出した夜は眠れなかったこと。
連絡が繋がってとても興奮し、
ボクがかつて住んでいた場所に行ってみたこと。
音信不通だった二十数年の重荷が氷解したこと。
喜び、喜び、喜び・・・。
 
ボクは自分を恥じた。
ボクだって彼との思い出を忘れた訳ではない。
むしろ、彼と歩き始めたまま、地続きでここまで歩いてきたのだから。
恥じたのは、忘れられていると決めつけ、
本気で探しもせず礼のひとつも未だ述べていないことだ。
 
これからは存分に礼が言える。詫びも言える。
是が非でも会わねばならぬ。

写真は彼と他の友人数人とで描いた同人誌や単行本の数々。小学生なので自由帳に鉛筆描きなんだけど、今みても我らながら見応えがある。(笑)

*1:宇高連絡船。当時はまだ瀬戸大橋のない高松に住んでいた