朝の風景

私にとって8月6日というのは曾祖父母が原子爆弾で跡形もなく消し飛んでしまった日である。呉で暮らしていた祖母は8月6日の朝、大爆音に驚いて外に飛び出たところ、広島の方角に巨大なキノコ雲が空高く成長していくのを目の当たりにして我を忘れたそうだ。
翌日祖母は乳飲み子の母を背負って呉から広島の街に実家を探して歩き回った。祖母の実家は爆心地から500Mと離れていない。そして実家のあった場所は何もなかったそうだ。何もである。井伏鱒二の小説「黒い雨」にあるように、地獄絵のような死体と呻き声の中で、全ての建物がなぎ倒されて3km以上先にあるはずの海が青々と見えたそうだ。つまり私にとって8月7日というのは祖母と母が爆心地に入って二次被爆した日である。
父は姉と弟とで山奥の彼らの母の実家に疎開していたが、8月6日の朝、伯母が山の向こうで爆音と共に小さなキノコ雲が上がるのを見たそうだ。一方、父は恐ろしくて母親の言いつけ通りに目玉を押さえて突っ伏していたそうだ。これは爆弾の衝撃波で目玉が飛び出てしまうことがあるからなのだが、遠い山の向こうの大惨事と比べると、幼子が夏の晴れた朝に長閑な農村で目玉を押さえて突っ伏しているのは、申し訳ないがちょっと滑稽な風景である。一方、原爆投下時には呉にいた彼らの父である私の祖父は、後に広島市西警察署長として都市の災害復旧と治安の回復という激務に追われることとなる。彼も二次被爆している。
それから67年が経った。両祖父母共この世には既にないが、祖母に負われて爆心地に出た母は今日も元気にルームランナーで健康づくりとお茶の稽古に励み、山村で目玉を押さえていた父も尋常ではない回数の腹筋に腕立て伏せと、健康バカに拍車がかかるばかりである。パンとスクランブルエッグにカフェオレの朝食をとりながらスポーツニュースを見、カープファンの母と巨人ファンの父は互いのチームを楽しそうに罵りあう。
そして8時15分は毎年当然のように黙祷し、平和記念公園の蝉は鐘打つ音をかき消すように鳴くのだ。
これが広島なのである。