「表現が閉じていない」ということ

サクソフォーン奏者の國末貞仁さんから Quatuor B の演奏会のご案内を頂き、諸々所用を済ませて夕刻は会場のドルチェ楽器管楽器アヴェニュー東京店へ。2nd アルバムの発売記念ライヴ。
サクソフォーン四重奏にドルチェのホールは小さ過ぎるかもと思ったが、お客さんの距離感やアットホームな感じからすると良かったのかもしれない。選曲は2ndアルバムの収録曲と彼らの普段の公演*1でのレパートリーとしての委嘱作品でプログラミングされていた。やはりパーマネントで年間50公演(!)をこなしているだけあってステージの安定感は素晴らしい。それにそれぞれの楽曲を演奏する前に、面白トークの中に聴き所や演奏時間をさりげなく入れているのは、彼らが(クラシック音楽自体を普段は耳にしないオーディエンスの存在を常に意識していることを含めて)いかにオーディエンスにリラックスして音楽を楽しんでもらいたいのかというビジョンと配慮が優れている証である。本日のステージは本当に珍しいハプニングがあったものの(?)彼らの音楽とステージングの本領が発揮され、オーディエンスを見事に掴んだ満足度の高い公演だったと思う。
それぞれの事情もあるので一概に批判出来る話ではないが、こういった配慮が欠けているクラシック・プレーヤーは本当に多い。音楽ホールのステージに慇懃に現れて、一言も発さずに小難しい演奏だけをしてバックステージに戻っていく事がリサイタルだと勘違いしているのではないか、と勘繰ってしまう。また、素晴らしい演奏だけをしていればチケットが売れると勘違いしれいる人も多い。出て来ただけでそのオーラでホールを満たしてしまうようなスーパープレーヤーであれば「オレの演奏が判らんヤツはオトトイキヤガレ」みたいな態度を取っても熱狂的なファンの喝采が得られるであろうが、残念ながら殆どの演奏者はそうはいかない。申し訳ないが世の中「演奏が物凄く上手」なプレーヤーなんてゴマンといるのだ。
演奏が良いのに越したことはない。自分の楽器や身体を自在に操る技術を持ち得ない事には表現なんぞ出来ないし、その技術をもって自分の思いや考えを楽曲に乗せてアウトプット出来てこその音楽である。しかし大事なのは「誰に何を伝えたいか」「それをどうやれば伝わるのか」だ。
「音楽に国境や言葉はいらない」なんていうが、音楽に限らずコミュニケーションというのは他者との約束の体系を使って心のやり取りをすることである。国境や言葉は必要なくとも、それぞれの表現において最低限の「約束」が必要なのだ。音楽だってその約束のお互いの了解がなければ楽しむ事は出来ないし、もっと細かく言えばジャンル毎の約束が判らないと耳障りにしかならない。だから自分の表現を判ってもらうには、相手にその約束を理解してもらう必要がある。まずそこを怠ってはならない。
勝手にその約束を勉強して足を運んでくれるオーディエンスの数なんてタダが知れている。そしてそういう人だけを相手にしていると表現として非常に閉じた小さいものになっていく。
本日のステージに立ち戻れば、ボクはアマチュアとしてでさえサクソフォーン演奏を嗜む者でもないし、本日のプログラムだって全てが真の意味で聴き易いものではなかったが、彼らのステージ上での振る舞いとコミュニケーション力の高さで随分補われるものが多く、全ての楽曲をリラックスして楽しめた。実は殆どの観客が何かしらサクソフォーンに関係する立場の人々の集まりだったのに、それを気にせず聴けたというのは素晴らしいことだと思うのだ。つまり表現が閉じていない。
Quatuor B の今後の活動にさらに期待していきたいと思った。

*1:公共ホール音楽活性化事業 登録アーティストなので、地方公演が多い