双子素数とは松平敬さんと橋本晋哉さんの関係そのものではないだろうか。


ボクにとって「新しい表現という芸術的な試みを味わうためにコンサートに足を運ぶ」という行為は、実はそう多くない。音楽という広大な表現の殆どはリラックスかノスタルジーかカタルシスに覆われており、そうでなければ一種のトランス状態である。
そのどれでもない表現として音楽を捉え、送り伝える行為はとても難しい。受ける方にもそれなりの覚悟がいる。いや、それは大人だから。長年生きれば生きるほど、経験値から似たモノを探して「わかろうとする」から難しいのであって、経験値の浅い子供なら素直に受け止められるかもしれない・・・いずれにせよ、この世に落っこちて来てから40年以上も経った大人であるボクには「似たモノを探さないでボンヤリと素直に受け止める」作業を強いられるこの行為は難しいけど、嫌かと言われると逆で、とても新鮮で楽しい。
こういった表現を味わう上で、松平敬さんと橋本晋哉さんの低音デュオほど面白いものをボクは他に知らない。バリトン(声楽の方ですよ)とテューバ(またはセルパン)という、一見どうみても違和感のあるこの組み合わせが誘う不可思議な世界は足を運ぶ程に無限の可能性を示す。音楽が隣接するものは何も美術や映像や演劇や舞踏のような芸術だけとも限らない。他の表現同様、全く日常に現われる何気ない瞬間の気分の目撃であったり違和感であったりもする。
今回の公演では、全く個人的な話として、年明けから古典の仕事ばかりしていたので、和歌を素材に採った近藤譲《花橘》(2013)と木下正道《双子素数I》(2011)《双子素数I-b》(2013)は違和感と一体感が混ざり込んだ独特な体験を楽しめた。
また、中川俊郎《3つのデュオローグ、7つのモノローグ、31の断片》(2012)で巻き起こる音楽としての表現の限界に挑む(その行為自体をからかっている)ような『事件』の数々に惹き込まれっぱなしでした。