自分では想像も出来ない苦難や重圧を背負っている友人や知人っていますよね。子供の頃の大手術で大事な臓器を丸々切除してしまっているから一生の間定期的に機能を補う薬を飲み続けなければ死んでしまう人とか、祖父が一代で築き上げた大会社のたった一人の跡取りとして先頭に立って舵を取らねばならない人とか、先天的に長く生きられなかった子を産み育てた経験のある人とか、努力云々とは関係なく自分の人生に課せられた大きな業を負っている人のことです。
着の身着のままでノラリクラリと好き勝手やってきた自分の業なんて彼らに比べれば微々たるモノで、本当に恥ずかしい限りなのです。上の事例(実際の友人知人たちです)なんて「自分だったら」と考えただけで即降参しそうなのですが、彼らというのは受け入れざるを得ない運命の軸がある時から凛とする瞬間があって(皆長い付き合いなのでその瞬間に立ち会う事があります)、それ以降の佇まいが実に美しくなります。努力や才能によるパラダイムシフトとは全く違う精神的な進化。
不利は不利のままでやがて空気の様に受け入れて、落としていた目線をスゥッと上げて前を見る。その瞳の奥は不可思議な色をたたえた海の様に深く静かになる。
本当に死の予感すらする淵にフラフラと彷徨う弱さと危うさを見せてきた人が、誰も替わる事の出来ない哀しみを背負って凛と美しく強く立っている。