だって教

師匠が昔「ボクは敢えて言うなら《だって教》徒だ」と言っていた。
彼が言うには編集のiさんも
ライターのoさんも、イラストレーターのwさんも
みんな《だって教》徒だという。
「だって、書けないだもーん」
「だって、描けないだもーん」
「だって、思いつかないんだもーん」
「だって、間に合わないんだもーん」
ってミンナで言い合うそうだ。
で、ワハハと笑うのだそうだ。
 
当時、シメキリ守んないでノホホンとしていられる彼らに
イライラしていたボクは正直
「こんな開き直りで良いもの作れる訳ないじゃん!」
と呆れ返っていた。
 
が、実際は素敵なモノが出来ていた。
本当に不思議でならなかった。
 
今なら少し判る。
《だって教》というのは「だって」を唱えるだけの開き直りではなくて
「だって」と唱えた人相手を赦す、信頼と愛情なのだ。
だから「だって」を唱える方も赦してもらった分、キチンと応える。
 
最近は「だって」を唱えたら世の中から追放される勢いの世相だ。
ミスをせず納期を守り成果を十二分に発揮せねば叩かれる。
ましてクレームは命取りだ。
 
赦さない社会というのは本当にキツい。
だから師匠たちは《だって教》を考えたんだなぁ。