解りやすいから正しい? 感動的だから美談?

解りやすい情報というのは、殆どの場合加工した側の意図を示すのに都合が悪い部分をカットしている可能性があります。嘘は言っていなくても都合が悪い所までわざわざ示さない。感動的なエピソードは聞く人の判断力を鈍らせてしまい、英雄視された側の言動を否定することが暗黙のうちに社会のタブーになっていきます。どちらも情報操作の基本です。
人類はこれまでも「解りやすい」コンテンツ、「感動的」なコンテクストに煽られて、そうでないものを拒否し、沢山の失敗を重ねてきました。そして騙されたとなるや、騙したとした側を徹底的に拒絶・嫌悪・排除します。でもこれでは何も解決になっていません。こちら側の責任を相手に押し付けているスタンスは何も変わっていないからです。
過去の大虐殺や戦争、重大事故、あらゆる差別などを「時の為政者・権力者が仕組んだ情報操作に騙された」と責任を転嫁してはいけません。過去の失敗を学ばず、相も変わらず「解りやすく感動的な情報」を何となく求めて受動的に暮らしている側に実は問題があるのです。
爆発的に広がる情報化社会において、複雑な情報を読み解き、冷静に判断と行動をする個々のリテラシーがさらに求められてます。