五輪エンブレムの取り消しについて。

facebookでは色々書いてきましたが、otoshimono上では、それを一つにまとめます。
 
我々グラフィック&プロダクトデザイナーは、ファッション界の一部のそれとは違ってデザイナー個人のブランディングで仕事しているわけではない(しかも、それだって容易な事ではない)。我々が仕事として送り出すデザインは制作した個人ではなく、それを使用する事業や商材や媒体に寄り添うものだ。これは佐野さんや(JOCの役員等でなく)エンブレムを選考されたデザイナーの方々含めて皆そういうスタンスです(ファッション界だって大半はそうです)。
 
今回は散々パクリ呼ばわりされ、最終的に世に出す前のプレゼン資料まで引っ張りだされ、制作過程を原案やリテイク(修正段階の案)にまでイチャモンをつけられているのを見て、世間というのは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎く」なると、こうも酷い仕打ちをしても平気なのだなと、改めて思った。
 
さらにスケープゴートへのリンチと化した人々の同調圧力に恐れをなし、内部資料を公開してまで個人のデザイナーに全責任を押し付けようとしている組織委員会のお役所態度には辟易した。
 
これはセックス中の映像を突然公開されて、お前のナニは小さいだの喘ぎ声がキモいだの散々コケにされた挙句、生まれた子供はクズだの不倫で出来た望まれない子だのと他人からケチをつけられた後、その子が公開処刑になるようなものだ。こういうの精神的に耐えられますか、皆さん。それを取り消す寸前まで耐えたんですよ、佐野さんは。
 
確かに世界規模の事業なのだから、プレゼンとはいえ、アタリ(仮のイメージ)として一切外に出ない内部資料を作成するときさえも、元のイメージ制作者に許諾を得るとか、amanaやgettyなどの画像イメージサービス業者がカンプ検討用に配布しているウォーターマーク入りの低解像度画像を使うなど、そういった細心の注意と配慮をする必要があったかもしれない。佐野さんの会社は取り組む事業規模に合ったコンプライアンスのガイダンスを準備してからコンペに臨む必要があったのかもしれない。でもここは限りなくグレーゾーンであり、予算も限られているし、まだ誰の利害が云々という以前の話なのだ。ここを通ってから、やっと利権を精査してブラッシュアップしていくのだ。
今後エンブレムを一般公募にするという話も出てきているが、世界第一級のコンプライアンスを一般の人々に遵守してもらいながら類似性を廃した誰もが望むデザインを求めるという、超ハードルの高い公募にでもするのだろうか。それともそれを誰かが精査する上で肩代わりしてくれるだろうか。プロフェッショナルでも蜥蜴の尻尾切りした組織が。
 
そうでなければ、お涙頂戴の身の上話を持った感じの良い誰かがクレヨンで描いたお花のエンブレムとかであれば、皆さん涙を流して絶賛してくれるんでしょう? その人の事を悪くいうこと自体が悪いという空気になれば、そのエンブレムが何かと瓜二つだってOKなんでしょう?
 
そのくらいの認識なんだよね。今の世の中、お涙頂戴話と人当たりの良い風貌さえ揃えば、質の良し悪しなんて気にしてないんだ。
 
それこそ、詐欺の常套手段だというのに。
  
今日からデザイナーは日本では「ザハの様に《実現不可能で意味不明なものを考える》、そうでなければ、佐野の様に《人のものを盗んで組み合わせる》だけで大金を左団扇で巻き上げる詐欺に等しいヤクザな連中」だと言われるのだろう。

ここ1ヶ月の世の中の動きに、「クレーム社会ここに極まれり」と凹んだけど、どんなに無理解な人に唾を吐かれようと、腹を何度も蹴られて血反吐を吐こうと、それでも唾を吐き腹を蹴った人の将来をも守るために、真摯に生きるのが我々デザイナーの宿命なのだろうと思い直した。
 
大いに誤解されているとしても。それでも、それでも。それでも我々は前を向いて行かなければならない。なぜならば、これで怖気づいてデザイナーが仕事止めたら、世の中途端に止まる。我々が日々積み上げているのは、人が生きるためのあらゆるモノやコトのコミュニケーションをスムーズにするためのフォーマットやインターフェイスを時代の価値観に合わせて最適化する仕事だから。