理知と感情

世界中の情報や知識がインターネット(高度情報化社会)上で集積&再分配されるにつれ、人間は聡明で理知的な破綻のない無感情な方へ向かうと思っていたら、今や嫉妬・羨望・憎悪・不信・差別・迷信などの感情が、良くも悪くも人間世界を突き動かす原動力になっている。
つまりこれは理性(集積・分析・判断する力)をITやAIにアウトソーシング(依存)してしまう結果、人間内部の理性と感情のバランスが崩れたと見てよいのかもしれない。
振り返れば人間の歴史はこういった理性と感情のバランスの崩れと再構築を繰り返している様に思える。それを乗り越える試みや手段として考え出された様々なテクノロジ・・・政治(例えば、かつて古代文明と呼ばれたもの)〜宗教(例えば、かつて三大宗教と呼ばれたもの)〜経済活動(例えば、かつて大航海時代とよばれたもの)〜機械技術(例えば、かつて産業革命と呼ばれたもの)〜情報(例えば、いまITやAIとよばれているもの)・・・は、最初は大きな理知をもたらすものの、最後は感情による様々な暴力で破綻していく・・・その繰り返し。
次に人間がそれを乗り越えるために考えるものは何だろう。その前に滅びちゃったりして。