表現者が苦境を訴える時に忘れてはならないこと。

私を含め表現・技能を生業としている人々は、逆にそれらが「心底苦手」であるが故に過度なコンプレックスを持つに至った経験を持つ人々の心情というか恨み辛みを、ついつい忘れがち、または理解が難しいものである。

「ウンウンそうなんだよね」と同感される方も勿論多くおられると思うが、「私の周りはみんな理解あるし、自分よりもっと優秀だよ」という恵まれた環境の方もおられるだろうし、「そもそも、そんなこと思い巡らしたり理解する必要があるのか、溺れる奴は沈むがイイ、日々黙々と高みを目指して進むのみだ」という孤高の考え方もあるだろうし、「逆にオレはベンキョーはカラキシ駄目で親や教師から散々馬鹿にされたから、得意なことで今見返してやってんだ、ザマーミロだ」という逆コンプレックスの考え方もあるだろう。

そうなのだ、人それぞれなのだ。

つまり、逆も然り。「オレがかつて散々馬鹿にされた、苦手で大嫌いな○○なんて、この世には不要不急だ。無くなっちゃったって屁でもない。むしろ無くなれ!」って人は、いくらだって、どこにだって(あなたのすぐ隣から国会の中にまで)いるのだ。○○の中は、音楽かもしれないし、美術かもしれないし、演技かもしれないし、舞踏かもしれないし、文学かもしれないし、スポーツかもしれない。

そういう人々に、今回のパンデミック不況下での自身が身を置く(または興味のある)業界の苦境を訴えてもちっとも届かないだろうし、あなたや私の世界への無理解を生み出す原因の一端をあなたや私自身がいつかどこかで担ってしまったかもしれない 〜それはかつてあなたや私が教室や友達に称賛された折に見せた(その子を絶望させるには十分な)少しはにかんだ笑顔だったかもしれない〜 くらいの想像力は、持っておいて欲しい。表現者であれば。

それでも世に広く「文化の灯を!」と助けを求めるのであれば、その上で、その上で、頭を低く下げなければならない。かつて私やあなたたちが無自覚に踏み越え・灯を奪ってしまったかもしれない人々に対して慇懃無礼であってはならない。