私的学究

「アマチュア」という言葉は『私的学究』という意味がある。ので、僕にとって「プロ」と「アマ」という言葉はその技能を職能として禄を得ているか、ただ探究心のために活動しているかの違いでしかなく、技能の高さ低さの問題ではない。実際、技能的にはそれほど高くなくてもその職能で生活できる人もいれば、技能が非凡なクオリティにあってもそれを生業とはせずに創作活動をしている人がいるからだ。
「技能がないのならプロなんかやるな」みたいな議論があるのであれば、それを人様に言われる筋合いはない。現にその人は仕事の機会を得て大小関係なく禄を得ているのだからプロはプロだ。人の食い扶持に文句をつけていたら、やがて天に向かって唾を吐く行為になりかねないので止めておいた方が良い。
逆に「玄人はだし」であろうが「好きこそ物の上手なれ」であろうが「下手の横好き」であろうが、その人がそれぞれの理想を求めて創作や研究の私的学究に努めるのであれば、それは立派なアマチュアである。アマチュアに貴賎はない。
ただ、芸術芸能分野においてはプロフェッショナルな立場にあっても『私的学究』を怠らない人たちも多く存在する。それはプロが技術力を落とさないために鍛錬やメンテナンスを怠らない事とは別に、好奇心と探究心として、である。そのジャンルにおける第一人者でありながら非常なオタクな人(みなさんそれぞれ思い当たりますよねぇ)というのはその類である。実際、変人か怪人(いい意味で)であり、次の時代を切り開く人はこういう中から出てくる。
またアマチュアとは名乗りながら、特に探究心もなく「友達とワイワイやれるから」「よく知らないけど他にやることもないし」という理由で音楽や美術やスポーツなどを嗜む人もいる。それはそれで何も問題ないと思う。その人の人生や生活に潤いが出るのであれば健康的で大いに結構。ただそれは、アマチュアではなくレジャーである。