苦手な音楽

年度末に書く内容ではないが、ボクはキャンペーン・ソングとかラブ・アンド・ピース的な音楽とか、そういったものが実はとても苦手だ。特に、問題の当事者でない人が「私たちは当事者のことを思っていますよ」的メッセージを、同じく当事者でない人々にアピールするするタイプの音楽が本当に苦手だ。キャンペーン・ソングが、例えば災害とか紛争とか事件とか、何かとても普通では手に負えない問題を少しでも軽減するために寄付を募ったり実働するスタッフを募ったりする活動の一つだったり旗印だったりする主旨なのはとてもよく判るし、それに賛同することに何の異存もない。だけど、キャンペーン・ソングを共に聴いたり歌ったりして盛り上がることに何の高揚感も持てないというか、むしろ気分が駄々下がりしてしまう。

ボクはそういった事に無関心だったり批判的な訳ではない。十年くらい毎月欠かさず続けている寄付もあるし、津波災害で楽器を無くして困っている人に自分の楽器をお譲りした事も何度かある。当事者から求められれば時間の許す限り実作業をお手伝いする事も本気で考える。しかしながら「私たちは祈ってます」ソングはちょっと。

何故だろうかと考えた。たぶんキャンペーン・ソングの「私たち」の《たち》なんだと思う。祈りとはパーソナルな感情の発露だと普段から感じているボクにとって、キャンペーン・ソングは、最初から複数形で見ず知らずの誰かから自分の存在を歌に織り込まれる違和感、または、それを拒否するお前は人でなしだ的な脅迫感や同調圧力を感じてしまうのかもしれない。

それだったら「俺はこんな事があって悲しいし、無力な俺は悔しいけど、あの街や友達や事件のことを思って今は歌うことしかできない」「この何気ない小さい陽だまりみたいな穏やかな日常が、一日でも長く続いて欲しい」というパーソナルな哀歌や祈り歌の方がグッとくる。あるのかないのか分からない『みんなの思い』なるものを世相なるものの使命感で代弁するではなく、個人の思いを個人サイズで発現してもらった方が、例えその言葉やメロディが稚拙であっても真実味を感じる事ができるし「だったらボクならどうしようか」と自分のサイズで考える事が出来る。

いや、アレかしら。輪になって踊りましょうとか、みんなでワイワイとか、ミンナで盛り上がろうぜ的な、そういうスタイルが苦手なだけかもしれない。単なるヒネクレモンですな。