「好きで得意の強要」

人間の成長過程において「好き嫌い」と「得手不得手」が未分化な段階というものは確かにあり、日本の教育政策は未だに何故かそれを満遍なく「好きで得意」にさせるための努力を強要します。「嫌いだけど得意」はともかく、とりわけ「好きだけど苦手」という選択肢も許さないので、結果『嫌いだし苦手』を沢山生む。

ただ、「好きで得意」「好きだけど苦手」「嫌いだけど得意」「嫌いだし苦手」は綺麗に4分割されるのではなく、それはグラデーションでどれともつながっている。

人には誰でも「嫌いだし苦手」なものはあるし、それ自体はダメなことではない。自身を生活苦に追いやることでなければ尚更実際どうだってよい。

教育が取り組むインテリジェンスは自身を生活苦に追いやる『嫌いだし苦手』に、学習者が向かいそうな場合のケアとフォローの一点なのだ。