市民楽団の高齢化や運営の壁について考える

最近、或る老舗市民吹奏楽団の高齢化が進んでて、その理由の一つに「若い世代がそこに入らずに新たに同世代の吹奏楽団を作ってしまったから」という話を聞いた。コロナ禍や世代間のギャップが人脈や考え方を寸断してしまい、起こるべくして起こっている現象にも思える。

しかし、一方で若い同世代で吹奏楽団を始めたものの、仕事や子育てなどが忙しくなるにつれ3年ほどで開店休業になってしまった例も過去に沢山見てきたので共倒れにならないかと悩ましい。同世代で集まるとライフステージが似通うし音楽に対する指向性の更新が行われず、硬直化する事が多いのだ。

一方で老舗楽団も若い世代の取り込みに失敗しているところの多くはやはり団員の多くが同世代だったり「若手」が40代後半で止まっているところだ。過去にライフステージの危機を一度は乗り越えたものの、音楽性や運営に対する考え方に硬直化が起こってしまい若い世代にとって楽団が魅力を失ってしまう。

部活動の地域移行が急速に進められようとしている今、将来的にはその受け皿の一つにもなりうるような、幅広い世代が安心して参加できる持続可能なタイプの市民吹奏楽団の準備や運営改革は割と急務なのではないかと思う。

紆余曲折しながらも前々からそういった取り組みを着実に進め、その成果も出している市民楽団も知っているので、不可能ではないと思います。ただその場合は、トンがった音楽的指向やカリスマが運営まで引っ張るスタイルなどは方向転換を余儀なくされる可能性も高いです。

実はボク自身はトンがった音楽的指向を持っている楽団の方が好みだ。またカリスマならではの存在感と人脈を活かした実力楽団の活動の凄さや、そういった方々が創る一期一会の吹奏楽フェスの面白さも知っている。しかしこれは大変なパワーが必要だし一旦逆回転を始めると人間関係が大惨事になる。

常設楽団や例え短期のフェス楽団でも実際はそう気軽に創れるものではなく、続けるのも畳むのもかなりのノウハウとモチベが必要だ。特に運営サイドともなると市民楽団は勿論、短期のフェスであっても人生や生活の割と大きな部分を捧げる覚悟がいる。しかし彼らなしでは楽団もフェスも成り立たない。

演奏会場・練習会場の確保、個人で賄えない楽器の調達、吹奏楽団であれば50人以上規模の仲間のスケジュール管理と調整、財源の確保と透明性のある運用、演奏会自体や参加者・団員募集の告知やその宣伝物・メディアの管理対応、指揮指導者が必要な場合はその確保や対応や謝礼の問題もある。目が回る。

これらを少人数の「モノ好きな(ことになっている)人々」が引き受けて運営されているのが市民楽団やフェスの実情だ。まぁ自分好みにできるのだから実際運営好きな人が多い。しかし規模が大きかったり年数が経つと次第に運営に参加していない仲間との意思疎通の齟齬が出始める。ここからが修羅の道。

ビギナーズラック期や上手く回っている時は目立たなかった人間関係や金銭(仲間同士だったり、VS運営だったり、VS指揮指導者だったり)のトラブルなどが噴出してくる。これに個々のライフステージの変化や世相の変化も加わる。回している運営側も乗っかってる団員側も大変なストレスである。

ここを乗り切り復活した楽団、分裂してしまった楽団、規模縮小を余儀なくされた楽団、消えた楽団、名前はあるけど開店休業の楽団、色々な話を聞いてきた。演奏活動というのは生き物だから色んな事が起こるしそれぞれが「その時の使命を持って」生まれた楽団やイベントで、それは素晴らしい物語なのだ。

しかしながら最後に禍根を残すのはいつもお金の問題だ。実際はどういう結果に落ち着くにしろ金銭トラブルだけは残さないようにしないと個々の人生の様々な場面で障壁になる。

音楽を奏でる楽しさの基準や指向性は人それぞれで色んなアプローチはあれど、楽団による活動というのは一期一会であれ常設であれ規模の大小あれ『チームプレイである』ことだけは確かだし、結局そこから起こる悲喜交々に「当事者として」どう向き合うかなんだろうなぁと思ったのでした。