今の日本の吹奏楽が抱える問題を考えてみた

今日は日記とは言えない、かなり小難しい話を書きます。

東京佼成ウインドオーケストラ作曲賞の本選会&表彰式・レセプションにお伺いしてきました。一般のお客さんは少なかったですが、業界の関心の高さからかこれでもかという位の関係者と作曲家の方々が集まりました。
審査結果とその感想・解説などにつきましては、NAPPさんの日記に的確なレポートがありますでそちらをご覧下さい。

 
NAPPさんのレポートがあまりにも見事なので、こちらは少し違う角度から書いてみようと思います。
今日一日、各会場に同席させていただいたボクが感じたのは「吹奏楽業界というものが明確に存在するものであれば」と仮定しての事ですが、「作家」「演奏家」「教育」「ユーザー」「企業体」で成り立つこの業界のそれぞれの思惑の『ズレ』が、結果的に市場を小さくしてしてしまっているのではないか、特にそこには「企業体」の脆弱さがあるのではないかということです。
 

「作家」
〜ジャンルを問わず活躍される方から、吹奏楽の作品を主な市場に作曲活動をされる方まで
「演奏家」
〜音楽の演奏そのものを職業とされる方から、アマチュアの指揮・指導を専門にされるレッスンプロまで

この二つは送り手(表現者)なのですが、それぞれ直面している現場で「受け手」が見えやすかったり、見にくかったりします。またはそれを見越した上で新しい「受け手」を創出したいと活動したり、今ウケるものを積極的に作ってニーズに応えていくべきだと考えたり、絶えず葛藤しているわけです。
 

「教育」
〜プロフェッショナルを育成するための機関としての音楽大学や専門学校から、中学・高校・大学の部活動とそれを指導・支援する顧問、その背景にある各自治体の吹奏楽連盟等(その水準の内訳は学校レベル、自治体レベルでかなりの差があります。)まで
「ユーザー」
〜アマチュア演奏家≒オーディエンスがほぼ成立するこの業界特有の気質がまず大前提としてあります。そしてそのさらなる内訳は、演奏団体から個人、学生から大人まで様々(情報に敏感で演奏能力も高いハイエンドユーザーから、ビギナーまで多種多様)

この二つは「受け手」です。アマチュア演奏家はともすれば送り手にもなり得ますが、サービスを享受しての音楽活動はやはり大きな目で見ると消費者です。また教育機関も中間的ですが、送り手の作品や表現活動があってこその教育ですので消費者の方にシフトしていると思います。違うとの意見も多いでしょうが、日本の吹奏楽においてはそうだとここでは捉えてみてください。一見規模の大きい全日本吹奏楽コンクールなどを主催する「社団法人全日本吹奏楽連盟」も自身で作品や表現を生み出している訳ではないので、ここでは教育機関と捉えます。
 
さてその「送り手」と「受け手」を繋ぐのが「企業体」なのですが、吹奏楽を産業として捉えるとき、この双方が満足できるような経済活動が出来ているかどうか、難しいところだと思います。
「企業体」とはここでは楽器製造業や出版社(楽譜・書籍)や大小レーベルの音楽出版事業者、放送事業やWEBショップ、国内外輸入代理店などの流通事業者、公演を興行する類いの業種(所謂呼び屋やハコ)など、ネット社会の今、複合的に絡み合うメーカーやメディアの事を考えています。
これらのメーカーやメディアが双方を上手く繋いだときこそ、大きな需要と供給が生まれ、さらに新たな資本投下がされて業界全体が活気づくのでしょうが、今の業界の現状だと、それぞれの企業が個々に動いていたり、競争が出来ない仕組みになっていたり、兎に角「牌が小粒」にならざるを得ない構造なのかなぁと思います。
メーカーやメディアにとって、かつては「吹奏楽はお金になりにくい」と伝説的に言われていました。しかしこれは「送り手」と「受け手」のバランスや規模を上手く分析できていなかった結果であり、市場開拓の仕方が怠惰であったからかもしれません。または、潮目が今までは見極められなかったからかもしれませんね。
とすれば、今回のコンクールの様な機会を核にしてメーカーやメディアが「業界」として「送り手と受け手が、何を求めているのか」再分析してみる価値は十分あるのではないかと思うのです。
そういう意味でも、先日のレセプションで「業界」の人が一同に会したのは意味のあることだったのではないかと思うのです。あの場を単なる社交の場ではなく、大きなビジネスに変えて行く力こそが今「産業としての吹奏楽」に求められていることだと思います。