小寺香奈リサイタル


たとえば美術にしろ建築にしろ、「観る」「触れる」芸術というのは送り手である作家が受け手である鑑賞者に対してダイレクトに作品を提供する場合が多い。ところが「聴く」芸術である音楽は少し違う。作曲家というのは必ずしも自分が演奏できる作品のみを書いている訳ではなく、その多くは自分ではないもう一人(複数の場合が多いが)の芸術家である演奏家を媒介して作品を世に送り出す。
コンテンポラリ・ミュージックの面白さは、作曲家と演奏家が殆ど同時間軸を生きていることにある。作曲家と演奏家が直接、手と手を取り合いながら(たまにはぶつかり合いながら)音楽を表現を紡ぎ出すことが可能である。
そして演奏会というのは、彼らが表現を紡ぎだして行く現場自体を、受け手が目の当たりにすることが出来る装置である。
小寺香奈さんが作曲家の山本裕之さんと長年にわたり取り組んでいる、特殊奏法などを開発しながらユーフォニアムという楽器の可能性を探り続ける作業というのは、その行為自体が芸術であり、その中で紡ぎだされる作品たちは、その芸術活動の覗き穴である。
今回演奏されたプログラムの中でも山本さん編曲の「N.パガニーニ:24のカプリース より」は、とりわけその息吹を感じる事が出来、大変面白かった。
パガニーニという超人的な演奏家がかつて自らのヴァイオリンを駆使して挑み続けた演奏技法の拡張を全く別のシステムをもつ楽器で再構築しているのだ。やもすると陳腐にさえ聴こえるこれらの奏法が、彼の手にかかると、彼女の演奏にかかると、実に「生きた」音楽となって立ち現れる。これは今でしか味わえないことなのだ。
さらに近藤譲さんの「散形式」の分断されつつも頭の中で繋がっていくひとつの線、山本さんの「イポメア・アルバ(夕顔)」で表現した、ずれながら絡み合い、うねりながら伸び続ける有機体としての音楽も興味深く聴ける音楽だった。
そしてかつての旧友たちと8名で共に演奏した「L.ヤナーチェック:カプリッチョ「挑戦」−左手ピアノと管楽合奏のための」。挑戦とある。これは小寺さんをはじめ、今を生きる彼ら音楽家たちの意思表明なのだ。
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