誰が吹奏楽を殺すのか(コンクール篇・上)

吹奏楽コンクールのシーズンである。正確にいうと全日本吹奏楽コンクール(いわゆる全国大会)は10月の終わりに開催されるのであるが、各地区で予選が繰り広げられる7〜8月が実質のシーズンと言ってよいであろう。高校野球などと違い、《観衆≒演奏者(と親)と指導者》でほぼ完結ている教育吹奏楽の世界は、多くの観衆の最終的な話題の対象が『吹奏楽の甲子園』とまで言われる全国大会にではなく、自分が出場した大会の自分たちの演奏体験で止まってしまうことからも、予選が初夏から始まり、実質のシーズンの頂点が甲子園での決勝に向かう高校野球などとは、性質を異にする。
さてこの季節、吹奏楽コンクールに関わる人間として出場者とは別に大忙しなのが指揮・指導や審査員として招かれる音楽家たちでだ。この業界で実力と人気のある音楽家は前に挙げた全てを担う場合もあり、審査する地区での指揮・指導は行えないというルールを守りながらも、スケジュール帳を真っ黒に塗りつぶして日本中を駆け回る。普段から学校&市民吹奏楽団の指揮・指導をメインフィールドとして活躍されている方から、作編曲家として、またはプレイング・プロとしてこの季節以外は演奏活動に集中している方まで立場は様々であるが、一日中同じ机に向かってガリガリとラクガキめいた仕事をしている小生からすれば、頭の下がる思いである。
その中でもコンクールの審査員という役目を負う音楽家たち。各大会の優劣を決定する権威を司る者としての栄誉を得る一方で、満足のいく結果を得られなかった出演者からは誹謗中傷の的となる。小生の知人には審査員を頼まれる音楽家も多いが、中には別の地区で審査員にあたっている仲間と電話で夜な夜な泣きながら励まし合い、審査を続けている者もいる。彼ら彼女たちも個々の人間であるから断腸の思いで決断したことも多かろう。しかしそれさえ誹謗中傷される。普段から他人と比べられ、人一倍強い感受性を持つ音楽家たちにとって、時に人間性まで否定されてしまう審査員という仕事は想像以上に過酷であろう。でもそれも含め仕事だ。受けたからには全うしなければならない。
今や人気作曲家であり(感無量!)、NHKFMの吹奏楽番組のパーソナリティとしてすっかりお馴染みになった友人の中橋愛生くんはtwitter上でこう呟いていた。

岩手県コンクール審査初日終了。吹盟会報に載っていた岩手県の吹奏楽現状を読んで「被害は大したことなかったんだ」と勝手に思っていたが、甘かった。連盟役員の方のお話を聞いて、事態はそんなに甘くないことを痛感する。でも、沿岸地区の生徒の音は、とても明るかったのだ。(続く)[7月30日]

(承前)「当たり前のことが当たり前にできる」という連盟役員の方の言葉の重みを噛み締める。(続く)[7月30日]

(承前)出場した某校の演奏に私は10点満点中3点を付けた。後でその学校が遺体安置所になっていて満足に練習できなかったことを聞いた。客観的に私の採点は間違ってなかったと思っているが、それでも葛藤はある。でも、彼女らの体験は賞に代え難いものであったと信じている。[7月30日]

帰宅してアレコレしてちょっと一息。今回の岩手県大会は審査させて頂いて本当によかった。小学生の部は感動的だった。沿岸地区の某校の演奏には不覚にも涙が出てきた。いつもコンクールには冷めた目で見てたつもりだけど、自分にもあんな感情が起こるとは思わなかった。[7月31日]

審査をするものとて人間である。ここに震災という事実に揺れ動く一人の音楽家の姿がある。
しかし、それでも彼は音楽家としての立場を崩さない。

「少人数で頑張ってるんだから(いい点あげてよ)」って、大人数バンドの子が頑張ってないとでも言うのか。みんな頑張ってるんだから、純粋に音だけで審査しますが。[8月4日]

音楽家としての《音楽をする者すべて》に向けての愛情の眼差しは、「純粋に音だけで審査します」という表現に示される。これは音楽家として正しい判断である。
 
各地方吹奏楽連盟(各都道府県の教育委員会の傘下にあることが多い)とそれに加盟する各団体の責任者(その多くは教育者のはずである)は、《自分たちが審査員に招いているのは教育者ではなく音楽家である》という認識をしっかり持つべきで、それによって得た結果をどう受け止め、教育指導にどう結びつけていくかは吹奏楽を通じて教育に携わる者の使命である。
以前、一生懸命練習をしたのにコンクール本番で上手くソロが演奏出来なかった生徒を講評で指摘した審査員に対して「その後、その子は部活を辞めてしまった」と批判した教育者を見かけたが、それは教育者として間違っている。
例えば高校野球である子のエラーがきっかけでチームが負けたとしたら、そこから子供たちに何を学び取らせ、人間として野球人としてどう成長してもらうかが教育者の役割であろう。教育者としての立場なら審判の判断やルールに悪をなすり付けるのでなく、トライ&エラーの中から成長するモデルを子供たちに構築してもらうことを目指すべきで、結果と講評を揶揄するのみであれば職務放棄である。
教育者の肩書きを持って学校吹奏楽に関わっているのであれば、そこに己の趣味性と自己顕示欲を追求する前に職務を遂行する姿勢を持ってもらいたい。
そしてその姿勢こそが、音楽家に安心してコンクールを審査してもらえる環境を作り出すのだと考えて欲しい。
 
さて、町内の草野球チームと社会人野球トップチームがゴッタ煮でリーグ戦を行うような、全日本吹奏楽コンクール《職場・一般の部》の興味深い独特な光景については次の機会に。