淳坊

高校時代の友人に小川淳也という男がいる。少年のような容姿から「淳坊」って呼ばれてた。野球部で、体がけっして大きくない淳坊は他の部員といるとリトルリーグの子みたいで正直かわいかった(申し訳ない!)。どんなに勉強が忙しくても野球をやめなかった。でもベラボウに勉強が出来た。純粋で熱血漢。曲がったことが嫌い。人が窮地に立たされると放っておけない。気分屋で行動が無茶苦茶で自信家のクセにすぐ落ち込むボクの事を気にしてくれてて、いつも励ましてくれた。インスピレーションに任せて突っ走るボクとは違って、どこかクールな部分があって、それがまた爽やかだった。ただ彼の情熱が伝わらない事件があったりすると純粋なだけに落ち込み様が大変で、逆にボクが励ます事も。
勉強、クラスマッチ、体育祭、文化祭・・・いろんな場面で共に笑い、泣き、怒り、憂い、そして、それぞれの道へ踏み出すべく上京していった。マジで青春時代でしたわい。
それから20年。ボクはデザイナーになり、彼は衆議院議員として国政を預かる立場になった。振り返って見ると至極当然な進路だ。
そんな彼が初めて東京で国政報告会を開いた。最初は高校の同期と東京で、淳坊がどういう仕事をしているのか一緒に語らおうくらいの感じで準備を始めたらしいのだが、支持者がドンドン集まり、ホテルの会場を借りての大きな会となった。とは言ってもパーティー券お一人○万円みたいなのでなく、会場実費のみという、いかにも淳坊らしいやり方で。
ボクは生まれて初めてこういう会に参加したのだが、本人が時間いっぱい熱く語り参加者の質問を受け付ける至って真面目な報告会と、食事をしながらの(超有名人とかが激励のスピーチとかしない)交流会の2部形式の国政報告会というのは珍しいらしく、業界に詳しい人々は感心していた。
とはいえ、こちらは全てが初めてづくしなので大変興味深く、世の中まだまだ見聞きしなければならないものが沢山あるなぁと妙な感心の仕方をしていた。
さてさてその後、駅前の飲み屋(わたみ)で淳坊ふくめ同期が20名弱集まり、(最初に予定していたであろう)プチ同窓会が行われた。ボクを含めみんな、パーティの席では聞きたいことがあっても参加者への挨拶に謀殺されている淳坊に悪いなと遠慮していたので、ここぞとばかり、教育・金融政策・景気対策、エネルギー問題・政治改革などなど、それぞれの立場から淳坊と熱く議論を戦わせ、意見交換した。今年40歳と脂の乗った時期に業界を越えて損得勘定なしにこうして言いたい事が言い合えるのって、やっぱり高校時代の友人同士の醍醐味だ。そして、こういった話の合間合間に高校時代の元カレ元カノのエピソード(淳坊のではないよ)やバカ話が混じるのも。
そして、政界の荒波に揉まれても、いまも尚、小川淳也が「淳坊」であることにみんな安心したし、こらからもお互い頑張って世の中をかけずり回ろうと誓うのだった。