お店のおばぁちゃん

先日、大好きだった祖母が安らかに息をひきとったということです。結婚し子供が産まれて間もなく実家を原爆で吹き飛ばされ、子を背負って親を捜しに広島に入り自らも被爆し、爆心地付近で夫とすいとん売りから大衆食堂を興し、3人の子供を育て、街の復興と共に歩みながら強く明るく、21世紀も越えて働きました。
店先に出ると原爆ドームが見え、風向きによっては市民球場からカープ戦の歓声が聞こえてくる、広島は本川町電停の正面にあった大衆食堂《善さん》は、親が転勤族のサラリーンであったボクにとって誇らしい母親の実家でした。
親が働いている様を間近に見られるのは母親はあまり好まなかったようですが、稼業が自営業であることは親がどういう仕事をしているかわからなかった(親父ゴメン! でも生保の営業所長と言われても子供にはやっぱり分からなかったよ)ボクにとっては羨ましい限りであり、尊敬の意を込めて祖母のことを「お店のおばぁちゃん」と呼んでいました。
お店のおばぁちゃんは、ボクにグラフィックデザイナーの最初の仕事を与えてくれた人でもあります。小学3年生くらいのある夏、店にあったカレンダーの裏紙にボクが例によってクダラナイ落書きをしていると、おばぁちゃんが「かき氷のポスターを描いてみたらえぇ」と言ってくれました。得意になってボクはドラえもんを紙いっぱいに描き、空いたスペースに『おいしいよ!』とか何とか申し訳程度に書いたのだと思います。そういう訳でボクが人生で初めて制作した商用ポスターは版権無視の文字組後回しという最悪な出来だった訳ですが、孫が頑張って描いたポスターを祖母が喜ばないわけないでしょう? 早速店先に貼ってくれました。もう嬉しくってね。その勢いで今日まで来てしまいました。
 
さて明日の告別式、ボクは仕事で参列することが出来ません。父親は「お前はいま人生で一番大切なスタートをきったところじゃけ無理して来んでもえぇ。お前の身体は一つしかないんじゃけ、お客さんを一番大切にせにゃいけん。心配せんでえぇ。」と言ってくれました。
そう言えばお店のおばぁちゃんは、どんなに雨風の強い日だってお客さんのために早起きして店を開け、夜遅くまでビールを飲みながらカープ戦を見ているお客さんのために店を閉じないでいました。休むことも一年中殆どなかった。だから、ばぁちゃんだって「アタシのことはええけぇ、仕事しんさい」って言うに違いない。
春になったら広島に会いに行こうと思います。彼女の身体はもうすぐこの世から消えてなくなってしまうのかもしれないけれど、ボクのお店のおばぁちゃんがいなくなる訳ではないのですから。
「仕事片付けてきたけぇ、会いにきたよ」って。

参考:過去のエントリから「善さん