原爆の子

ボクは幼稚園から小学一年まで、関東のある田舎町で暮らしました。
その前は京都に住んでいたのですが、
ボクが広島の生まれであることを知ると友だちは
「原爆の子」と言って虐め始めました。
その後も事あるごとにその子たちは
「原爆の子のくせに」と莫迦にし
引っ越す直前まで「広島に帰れ」とまで言われました。
親にその事を話したかどうか、憶えていません。
しかし、親がこの事を知っていたら相当嘆いたと思います。
子供たちは親に間違った知識を吹聴されていたのでしょうが
広島出身だというだけで、
原爆投下から30年以上経った後でも
このような差別を受けました。
実際、母が広島の二次被爆者で
ボクはその二世であることを聞かされたのは
それよりずっと後のことです。
そして母は未だに健康でピンピンしておりますし
ボクもこの世に生を受けてもうすぐ40年になりますが
人生で一番病院にお世話になったのは
友人と音楽室でふざけてて足の靭帯を切っちゃったときです*1
            *
さて、本当に差別が怖いのは
どんなに倫理的・科学的に不当であろうと、
そういう差別が長年に渡って生活・社会の中に
無意識に染み込んでしまうことです。
「オレは差別しないよ!」っていう個人は沢山いらっしゃいますが
ある地域や社会での一般的な雰囲気として染み付いてしまった差別は
簡単に拭えるものではありません。
ある意味放射能の半減期よりもずっとずっと長い。
            *
昨今の報道やtwitterなどの情報から
宿泊拒否、受け入れ拒否、乗車拒否、内定取消、婚約破棄等々
真偽のほどは分かりませんが、
福島の人に対するそういう話が聞こえ始めています。
悲しい事実として、福島の人々はこれから30年以上、
広島や長崎の人が負ってきたのと同じ
地域差別に対する闘いをしていかねばなりません。
本当に被曝されてしまった方はもっとです。
            *
そういう闘いを少しでも広島や長崎が
支えていかなくてはならないでしょう。
あの原爆慰霊碑に刻まれた
「過ちは繰り返しませぬから」は
そういう意味だとも思います。

*1:2ヶ月くらい入院した。この顛末はまた今度