母親

いま、母親という役割をきちんと請負っている人々に危うさを感じている。彼女たちは何においても自分の子供の生命を守ることを念頭に行動する。その行動はその立場からしてみれば至極全うである。当たり前である。そう遺伝子に刻まれているのだ。ところが、これが平時ならまだしも、非常時になればなるほど危うい。
非常時になると彼女たちの行動はいよいよ活発化する。子供からしてみれば実に頼もしい限りだし、その底知れぬパワーに男性は圧倒される。
「子供に、出来るだけ安全な場所で、安心出来る食事と生活を・・・」
これらが補償されると信じるや否や、一心不乱にそこを目指す。
ところがこれが危ない。非常時であるほど、どの母親も同じ方向を見てしまい易くなる。力の向いている方向(ベクトル)が一緒だと、その大きな力は、同じ方へ滑り易くなる。
つまり「安全・安心」の一言で一挙に煽導されてしまう。利用されやすい立場と心理状態なのだ。自らが争乱状態や謂れのない差別、詐欺にも加担しかねない。しかも自分たちは自分の子供にしか目が入ってないため、煽導されていることすら気付かない可能性が高い。自分で判断して行動したと思ってしまうのだ。
これほど良きにつけ悪しきにつけ、何か大きな力を得たい者にとって都合の良い人材はいない。「安全・安心」の旗を振れば、どんどんそっちに「子供の命を守れ」と流れていってくれるからである。
何でもかんでも疑ってかかりなさい、と言っているわけではない。「それじゃ何を信じていいのか分からない」とヒステリーを起こされても困る。
ウチには子供がいないので「アンタたちには分からないよ!」と一蹴されてしまうかもしれないが、子供がいないからこそ分かること、一歩引いて判断できることもある。
まったく正常でない心理状態が続いているこの首都圏・東北圏で、一番危険な身に晒されているのは子供よりも母親、あなたである。本人がそれを実感しているかどうかだけも、判断の狂いは少なくなると思う。
そしてその周りにいる男たちよ、彼女たちを全力で守りなさい。