評価

facebookでの友人とのやりとりが、とても心に響く話でしたので、彼の許可を得て写真と共にこちらに掲載させていただきます。


京都の学生マンションで激しい揺れに飛び起きてからちょうど17年。後期試験に向かう駅で、一桁台の死者数を報じる号外を手にしたこと、テストが後日のレポート提出に変わり、帰宅したテレビからは4月から就職が決まっている会社(JH)の兄弟会社の倒壊した高架橋の映像が流れてたこと、は今でも鮮明に覚えてます。
とりわけ今年は今次震災の後はじめての1.17。インフラ会社として、フンドシを締め直す一日です。

このエントリに対するボクのコメント

‎311の地震のとき、私がいたのはまさに首都高速の高架の上でした。海外渡航するため成田へ向かう道すがらだったのです。道路は大きくうねり始め、外灯はバネのように左右し、ひしめき合って建つビル群は大きく揺れ、ラジオのDJが地震だ地震だと叫んでいます。車はバルーンの遊具の中で歩いているような感覚で進み、路肩にやっとのことで停車しても揺れは大きくなるばかり。その時に頭に浮かんだのは写真の光景でした。本気で死を覚悟しました。
揺れが一旦止まって、幸い降り口の近くであることに気付き、首都高を降りた所で再度大きな揺れが起こりました。
首都高も阪神淡路の震災がなければ耐震補強の研究や追加工事などしていなかったことでしょう。
世間はとかく、教訓に学び、日頃の努力によって〈起こらなかった事故〉〈確保された命〉に関しては評価を下しません。
しかし私はその時、皆さんの努力に感謝をしたのです。

このコメントを受けての彼のコメント

頂いたコメントは我が社の人間にとって最大の励みになります。ありがとうございます。
私は震災直後の入社でしたが、当時の現場の凄まじさは諸先輩から色々と話を聞かせてもらいました。私は、というと研修を経て初任地が神奈川の現場事務所でしたが、そこではまさに震災後の新基準に基づいた既存橋梁の耐震補強がたけなわでした。新しい橋をより高い基準でイチから造るのと異なり、既存橋梁の補強をすることは、いわば『カローラをスポーツカーにチューンナップするようなもの』です。橋脚一本一本の補強工事を進めるため、技術屋さんの課長とペアで隣接の方々や関係機関などへの協議に行ったことを思い出します。
都心部でまるごと高架橋の首都高さんのご苦労やいかばかりだったか、と思います。

昨年の震災や事故において、地震対策・津波対策が不十分だったところは多々あると思います。しかし、その前に起こった震災の教訓を全く生かしてなかったのかというと、これは違うと思います。
その後、多くの事業や災害対策に関わる方々により、コツコツと「その日」のためになさらた努力の賜物があるのです。それによって多くの命が救われているのです。
『カローラをスポーツカーにチューンナップするようなもの』の耐震補強を全ての橋脚に施こすという気の遠くなる事業を進めていなければ、東京は阪神淡路大震災どころではない大惨事に陥っていたはずです。鉄道各社も震災後、あのスピードで復旧作業を進める行程表を作成し実行出来たのも阪神淡路大震災の事故の教訓が生かされているからこそです。
東日本大震災から一年が経とうとしています。
東日本大震災で《何が出来ていなかったのか》を凶弾するだけでなく
阪神淡路大震災の教訓から《何が出来ていたか》を評価する時期に入っていると思います。
そうでないと《何をすべきか》という道筋が立ちません。
我々生かされている者はそういうコツコツと努力をしていくしか、道はないのですから。