それではコミュニケーションにならない

他者(個人や集団)の行動や成果に対する評価を生理的感情表現で締め括ってしてしまう言動を見かけると残念に思ってしまう。
生理的感情はあくまで個人的なものなので、つまるところコミュニケーションとしては議論や問いかけなどの対話ではなく、幼く強い一方的な自己承認欲求なんだろうと。アイツのやり方の云々如何はつまるところトリガーに過ぎず、それを「気持ち良い」「気持ち悪い」と感じている、まさに今の「俺の存在を認めてくれ」という話なんだろうと。