メタモルフォーゼ

文化とは鬩ぎ合い変容する混沌である、という考え方は、難しいのであろうか。文化は国家やそこに住む人々が所有するものでもないし、盗る盗られるという概念からも外れている。そのものをそのまま持ってきた様でも経年でその地域に合う様に変化してしまう。馴染まないものは消えてしまう。例え「我が国固有の」と言ったところで、他者にアピールするために過剰に自ら盛ってしまうこともある。
昨今は皆、自分のしていることに自信がないのか、何か成果物として固定した価値観を所有したがる。経年劣化するばかりのノスタルジーとカタルシスに頑なに閉じ籠って「それは本来のウンヌンではない! こうあるベキだ!!」と声高に叫んだとしても文化は絶えず変容するので、ズレが出る。そのズレをヤンヤ言うこと自体をナンセンスだし、都合も不都合も、眺める視点を変えれば同じものなのだ。

と、言ったところでボクのこのブログだって戯言かもしれない。「だからなんなんだ」と言われてしまうと身も蓋もない。
しかしながら、前段の話も含めて「人は分かり合えない」というのは一つの真理なのかもしれない。そして分かり合えなくとも他者がいないと人は生活が出来ない。そこで知恵を使う。分かり合えない他者と利益を得合いながら生きていくにはどうすれば良いだろう。そうやって文化は生まれていく。

あれれ、堂々巡りである。