夏の朝の光

夏の朝の光に包まれたまま、広島の8月6日は時を止められてしまった。そんな気がするほど、毎年この日はいつも晴れてる気がする。
61年前の夏の朝の光の中、もうひとつの光が広島の夏の朝を呑み込んでしまった。閃光、轟音、熱風。
あの奇怪な雲の塊が姿を表した時、父は疎開先の山間の村で、母は隣町の祖母の背中で確かに感じたはずだ。そう、時が止まるのを。
「爆弾が落ちたら耳おさえて顔を地につけんさい。目が飛び出るで。」親の言いつけ通りに父は顔をつけていたが、伯母は遠くで次第に巨大化するキノコ雲を呆然と眺めた。
呉から見たキノコ雲は天を突く高さだ。混乱した噂が飛び交う中、祖母は母と広島の町に向かった。家族がいるのだ。
あれから61回も8月6日が来たというのに、広島の8月6日だけは取り残された。モニタに映る広島の街は夏の朝の光の中にたたずんでいる。
祖母の大衆食堂の店先からはいつも原爆ドームが見えた。ありふれた風景。そう、ありふれた風景。古代遺跡と同居するギリシャの街のよう。美しいとさえ思った。
けど、祖母は、眼前にいつもあるあの「時の遺跡」をどのような思いで眺めていたのか。子供のボクには皆目見当がつかなかったし、いまだって分からない。
ボクはあの日のことは知らないけど、原爆ドームは61年前のあの日から時が止められたまま夏の朝の光の中に今日も静かにたたずんでいる。それだけは分かる。