誰が吹奏楽を殺すのか(3)

 
二:熱狂の土曜日
 
明けて2008年12月13日土曜日。東京芸術劇場にてシエナ・ウインドオーケストラ第28回定期演奏会が公演された。指揮は金聖響氏、プログラムは「市民のためのファンファーレ(アーロン・コープランド)」「キューバ序曲(ジョージ・ガーシュウィン)」「ラプソディー・イン・ブルー(ジョージ・ガーシュウィン/ピアノ:外山啓介)」「エル・サロン・メヒコ(アーロン・コープランド)」「ロデオ(アーロン・コープランド)」。ゲストにピアニストを外山啓介を迎えてのクリスマスシーズンにふさわしいアメリカン・プログラムだ。ボクは他の用事で伺えなかったので実際の雰囲気は伺い知ることは出来ないが、鑑賞に行かれた方のブログなどを拝見するに、今回も満足度が高いコンサートであったようだ。
 
シエナが創立して間もない頃、CDはファンハウスから出していて、ボクがイラストや編集のアルバイトで出入りしていたバンドピープルの編集部に、レーベルの営業さんかバンドのマネージャーさんがやって来ては「大変なんですよ」的な話をしていた。
このバンドは当時からアレンジ作品を中心にレコーディング展開しており、演奏会でも女性奏者はドレス着用という室内楽オーケストラを意識したビジュアルで、若手中心の新進気鋭な吹奏楽団というフレッシュさを売りにはしていたものの(1992年当時、平均年齢26歳)、東京佼成ウインドオーケストラ、東京吹奏楽団、大阪市音楽団などには実力と実績共に今一歩及ばず、という印象だった。アレンジ作品と言ってもオペラ序曲集やクラシカル・マーチ集など、割と通り一辺倒な企画だったのだ。こういうCDは当時も山のように出ていた。
現に「オケのママゴトをするケツの青い吹奏楽団」というのが当時の《口の悪い人》の風評であり、このままじゃ数年も経たずに潰れると考えていた業界関係者も多かった。実際1990年の設立から1996年までの7年間は2回の主催公演(定期演奏会)しか行えていない。
しかし転機は佐渡裕氏を指揮者*1に迎え、規約やマネジメントの整備にかかりはじめた*21997年に訪れる。佐渡さんとのカップリングでワーナーからリリースしたCD「ブラスの祭典(1999年)」が日本管打・吹奏楽学会アカデミー賞制作部門賞受賞、のちにリリースされた「ブラスの祭典2(2002年/ワーナー)」「ブラスの祭典3(2005年/エイベックス・クラシックス)」との累計売り上げが10万枚を突破するという、日本のクラシカル部門でも異例のヒットを飛ばす。公演も順調に増え、アルフレッド・リード氏の追悼公演*3は追加公演をするほど(こういう興業スタイルも既存の吹奏楽団では異例)の人気を博す。今やシエナのチケットは、吹奏楽の演奏会ではかなり入手困難なプレミア・チケットになりつつある。
意識的には吹奏楽団というより在京オーケストラという展開で営業をかけ、ジョン・ウイリアムズやバーンスタイン、ディズニー、アルフレッド・リードなど所謂佐渡ナイズされたアメリカ系の「鳴る選曲」でCDやコンサートを企画してメジャー感を売りにした。定期演奏会のアンコールには観客と一緒に演奏する企画など、「観客≒アマチュア奏者」などのニーズも上手く取り込んだ。マスコミへの露出も積極的で、小学校の音楽の検定教科書への写真掲載*4などのほか、とりわけ佐渡裕さんが「題名のない音楽会21」のパーソナリティーを務めるようになってからは、その存在は吹奏楽愛好家以外にも浸透してきた。
「顧客のニーズに応える」という点において、この楽団はとても優れている。そして「顧客のニーズ」を最優先させることで、とことん「メジャー感=品質への安心感」を演出する。ビジネスモデルとしてこれは正しい。もはやこの楽団を「ケツの青い」なんて言う人はいない。吹奏楽をマスコミにもアピールできるメジャーなメディアに押上げた功績は大きい。
 
ところが、ところがである。その成功と熱狂の裏に、吹奏楽としてはスッポリ抜け落ちたものがある。そして、吹奏楽愛好家のほとんどの人がその事に気付いていない。
(今回はちょっと間があいたな。でも次もありますよ。きっと。)

*1:1997年より。のち、2002年から常任

*2:1997年より前音楽事務所より独立。のち、2004年には楽団運営のための有限責任中間法人を設立

*3:2006年1月/指揮:金聖響氏

*4:吹奏楽団の説明写真として