無力

我が子の誕生と共に我が親の死亡宣告を受けた友人がいる。
せめて最期の日の前に孫を抱かせてやりたいのに、親が保菌者であるためそれも叶わねかもしれないと言う。
妻と3月に生まれた子は彼女の実家で養生しているため彼はまだ我が子にニ度しか対面しておらず、自分も仕事が忙しいため親の面倒を見にも週末しか帰ることが出来ない。この頃は無力な自分に悶々として、仕事が手に付かないという。
「身を裂かれる思い」とはこういうことなのか。
男というのは正直、人間の生死に関わることに滅法弱い、と思う。況してや自分自身が最も生死から遠い世代であれば尚更だ。ボクは彼にどう声をかけてよいのか、見当も付かない。
喜びと楽しみを皆と共に分かち、怒りと哀しみの一切を受け入れて赦し、人生の糧として昇華し、自然に振る舞うこと。それを人の優しさと言うなら、なんと人生は困難なことか。
想像もつかないボクには、それを語る資格など、まだ、ない。