チャリティについて考える

先日、音楽系マネジメントをしている知人と世間話をしていて、本当に震災絡みのチャリティ・コンサートで酷い話が多い、という話題になった。
チャリティというのは本来強要するべきものではないのであるが、演奏家にチャリティの主旨に則って(ノーギャラで)出演していただけるのなら足代は出しますよと話を持ちかけて終電がない時間まで拘束した上に出演者に足代以上の募金をさせてしまった主催者の話や、チャリティ・コンサートなんだから無料で仕事しろと業者に最初からノーギャラを強要した主催者の話、チャリティ・コンサートをやるからと言っておきながら自分とスタッフの食事代やPAと照明代を間に入ってくれたプロダクションに押し付けてしまったアーティストの話など、テンでヘンテコリンな話がワンサカ出てきた。
チャリティというのは自らの意志でノーギャラで仕事を受けたり募金したり、その仕事で得た正当な報酬から自ら決めた金額をしかるべき機関に預けたりすることだ。一緒に働いてくれた人々の仕事代を値切ることでもないし、募金を強要することでもないし、ましてや自分ではない誰かに負債を押し付けるものでもない。
特に若いフリーランスの演奏家の多くは、普段から収入が不安定なのに3月中は仕事がことごとくキャンセルになり、4月に入ってからはノーギャラで頼まれる仕事ばかり増えるが、クライアントに頼まれると今後の繋がりも考えて断りづらい局面が多い。実際生活が立ち行かなくなってしまっている人もいると聞く。
ボランティアとかチャリティとかの主旨をはき違えて、経済が回らないような事態を招くことだけはあってはならない。好意でチャリティをしたものが疲弊するような事業をして何になろうか。
またチャリティコンサートとは別に、都会からの考えなしのボランティアやチャリティが入ることによって被災地の経済が反って回らなくなっている話も聞いたのであるが、これはまた今度の機会にしておく。
自分が善かれと思ってしている行為が、被災地の経済や社会的・業界的に弱い立場の者を傷つけてはいないか・・・とにかく各自、ことの次第を見据え、よく考えて行動せねばならない。