メビウスの輪


ラ・プティット・バンドのオペラシティ公演を聴いてまいりました。セルパン奏者の橋本晋哉さんがtwitter上でも「ラッパについては賛否両極端。あれの凄さは良く判るけれど、あれでは(というか、あれでも)ダメだ、と言う人の気持ちも良く判る。」と呟かれてましたように、予想通り演奏の評価は割れているようです。
この演奏会の紹介を以前させていただいた時に『どういう風に演奏するのか、CDも出ているとはいえ楽しみです。というのは、やはりピリオド楽器の演奏はライヴで聴かないと良さが伝わりにくい部分が沢山あるのです(CDなどだと、場合によっては単なるヘタクソにしか聴こえない場合もある)。』とボクは書きました。これが実演を伴ってもやはり評価が分かれたということです。
ピリオド楽器の演奏は非常に困難です。実際、今回の演奏会でもナチュラル・トランペットを用いてブランデンブルグ第二番を演奏したジャン=フランソワ・マドゥーフの演奏はミストーンが目立ちました。つまりモダン楽器を用いての演奏より明らかに「キズが多い」のです。純粋にブランデンブルグが楽しみたかったオーディエンスからすればトンデモないことです。いくら「これは超絶技巧なんですよ」と言われても《こうもキズが多い演奏は聴くに耐えないよ》と仰られる方がいても確かに不思議ではない。聴きにいったボクやemixは口をアングリ開けて舌を巻いたり伸ばしたりしていたのだけど、隣に座っていた方は演奏にイライラしたのか、休憩後は戻ってこられなかったので、そういうことなのでしょう。
橋本さんはモダンのテューバもピリオド楽器のセルパンも世界的な第一人者として活躍されている演奏家です。その彼をして「信じられない技術だった」と賞賛するマドゥーフのナチュラル・トランペットをあやつる技術は現代において飛び抜けています。しかしこれが驚異的な技術だと分かるのは、少なくとも金管楽器についてかなり嗜みのある愛好家以上です。そしてピリオド楽器の演奏が「単にヘタクソ」と評されるリスクについても橋本さんは十分認識されています。
繰り返しますが、ピリオド楽器の演奏は非常に困難です。なぜならば楽器として非常に脆弱である事は否めないからです。かつて、かのモーツァルトは、父に宛てた書簡に「今度どこそこで開発されたピアノがいかに丈夫か」とレポートしているように、作曲家や演奏家にとって楽器は常にミストーンやミスタッチが起こる原因を排除し、音量や音色の変化を容易にする方向で現代まで発達してきました。それはトランペットに限った話ではありません。実際今回も演奏中にシギスヴァルト・クイケンのヴァイオリンの弦が切れて演奏が止まってしまうというハプニングもありました。ラ・プティット・バンドはバッハの生きた時代と同じ羊の腸で作られたガット弦を用いています。バッハの時代の音色を甦らせる事というのは、同時に不安定な楽器で演奏しなければならないというリスクを伴っているのです。
現代のトランペット(だけでなく全ての楽器)はそういった意味で、バロック時代とは比べ物にならない程演奏が容易で、音量も大きく、表現力も豊かです。それに伴って演奏レベルも向上し、ボクの子供の頃に超絶技巧と言われた技術を今の若い演奏家が軽々と吹きこなしています。ところが、ハードの技術が充実して演奏技術が高度に均一化されてくると、人は「何かを置いてきてしまったのではないか」と考えるようです。ある種、表現に行き詰まっているのでしょう。
かつてシンセサイザーやコンピュータが出て来た時代に「アコースティック楽器が世の中から消えてしまうのではないか」と考えられたことがあります。電子的に完全に音質・音色・音量・リズムが制御された音作りは「完璧な音楽」を制作出来るので失敗のリスクのあるアコースティックは取って代わられるのではないかと。実際、一時期の歌謡番組ではアコースティックのホーンやストリングスが絶滅したかのような時期がありました。しかしそれも束の間でした。人の息づかいが感じられる、「いい意味でブレのある」アコースティックの演奏はすぐに復権します。
クラシカルの世界は、たぶん音楽の表現としては一つの限界に達しました。今はその壁を打ち破るべく、コンテンポラリ作品の発表のみならず、ピリオド楽器を用いた古楽演奏が流行っているのだと思います。「置いてきてしまった何か」を取り戻し「未来に繋ぐ」べく、でしょう。
橋本さんのように、古楽のエキスパートが、コンテンポラリについても先端の演奏家であることが多いのはそういうことなのだと思います。まるでメビウスの輪のような。

バッハ:ブランデンブルク協奏曲全集(全曲)

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  • アーティスト: クイケン(シギスヴァルト),バッハ,ラ・プティット・バンド
  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN
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