オレも書いとく

ご存知の通りスティーブ・ジョブズが亡くなりました。長きにわたる闘病生活の末、今の彼に出来うる全ての準備を整えてから、天国に新しいiPhoneとiPadのプレゼンに出かけてしまいました。
昨年彼がiPadを発表したとき、ボクは彼の全てに合点がいって本当に感動してしまったのを新鮮に覚えています。アラン・ケイが提唱し、スティーヴが追い求めた「ダイナブック構想」。Appleから送り出されたコンピューターや携帯プレーヤーや電話やネットワークサービスの数々は全てこれを実現させるための布石だったんだなぁと。(詳しくは2010年6月7日の日記参照
彼には夢を実現させていくことの楽しさと意味を教えてもらったし、デザインがアナログからデジタルツールによってメインに制作されていく潮目の変り時に、マッキントッシュという彼の翼に乗って自分がデザイナーとしてのキャリアをスタートさせ、現在こうして独り立ちをさせてもらえたことに尊敬と感謝の意を抱かずにはいられません。
ところで、そんなに古株でもないですが、ボクが初めてAppleのコンピューターに触ったのは1993年。当時バンドジャーナルと双璧をなしていた吹奏楽雑誌、バンドピープルでイラストを描いたり編集のお手伝いをしていた頃でした。多分買いたてホヤホヤだったLC475が編集部にあり、何にも分からないながらソイツを触らせていただき、1994年にはAdobe Illustrator3.2J を使い見よう見まねでさいたまファンファーレクラブのロゴをデザインしています。何とこれがボクが初めてmacでデザインした作品となりました。

その後、いろいろあって師匠に拾っていただいてデザイン事務所でデザインの修行を始めたのが1995年。1996年にお古のLC475を師匠から譲ってもらったのが自分のパソコン第1号。なんとモニターごと電車と自転車を使って自力で持って帰った記憶があります。もう嬉しくって嬉しくって。だって発売当時は本体だけで238,000円もしたんです。いくらシリーズの中でリーズナブルな機種と言えども、社会人なりたてのペーペーデザイナーには買える代物ではないです。それにしてもよくシステムが落ちた。1日10回はザラ。
1998年に結婚して買ったのが Performa 6320。初めてお金を出して買ったmac。今思えば無骨で全く遊び心のないカッチョ悪い筐体でしたが、パソコン通信(NIFTY-ServeやらAOL)からインターネットにネットワーク関連が移っていく頃で、「SOHOコンピューティング」という雑誌のデザインの仕事も始めていたり、とにかくIT産業やそれに関わる仕事が大変先端だった頃です。
その後、また師匠から譲っていただいたのがPower Mac G3(1999頃)。でもこの機種はスティーヴがAppleの経営に戻ってくる前の横置きのデスクトップです。次にちょっとお金に余裕が出来てG4に買い替えました(2002頃・ZIPドライブ付きという非常にコアなメディアに対応していたなぁ)。このマシンを買った時は非常にテンションが上がった思い出があります。
その後、サブマシンとしてemix用に iBook G3(2004)も購入。これは2006年のハワイ取材でも動向し、取材同行を一日休ませてもらってコンドミニアムで日本から持ってきた締切り近い装丁2冊分のプレゼン案を仕上げるという荒行をやってのけました。
2005年にはメイン機をiMac G5に衣替え。この頃になるとハイスペック機でなくても十分デザインワークには耐えられる様になりました。この後、非力になっていたiBookをmacbookに買い替え(2008)、昨年熱でやられてしまったG5をmacminiに買い替え(2010)、さらにこの夏にemix用に1台買い足し(2011)、現在に至っております。
16年で9台のmac! その能力は一昔前のスパコンを軽く凌ぐスペックに跳ね上がり、価格は1/4になったとはいえ、なんという数。Apple社製品という枠組みになるとiPodを2台買い替え、今年春にiPad2を購入しているんだから、どんだけAppleユーザーやねんってすっかり呆れ返りますが、唯一の抵抗として(笑)、未だiPhoneだけは購入していないし、今後も買う気がございません(意味不明)。
とまぁ柄にもなく備忘録として我が家のコンピュータ史を書いてしまいましたが*1、ボクのようなバカチンでも直感的に使えるコンピューターを作ってくれたスティーヴ・ジョブズには本当に感謝しています。何しろ、全てはボクがデザイナーになるなんて考えてもいなかった1994年のバンドピープル編集部においてあったLC475から始まっているのですから。

*1:師匠の事務所にお世話になっていた時のmacの変遷を入れると20台近くになってしまうでしょう。