クラスメート


最近SNSを利用していると、小中高時代のクラスメートと再会することが皆さんも多いと思います。「私のことなんか、覚えてないだろうなぁ」と思っていると人は案外覚えているものです。そりゃ、一度も話した事がないばかりか、クラスだって一緒だったことがなければ、学校や学年で相当目立つ存在ではない限り一方的にコチラが知られているなんてことはないと思いますが、クラスメートというのは少なくとも1年は同じ部屋の中で長い時間を過ごす小さなコミュニティですから、少なくとも物心が付いた中高生以降であれば、当時どんなに部活一辺倒であっても覚えられているモノです。それに記憶というのは不思議なモノで、全く忘れていると思っていても話をしているうちに圧縮データが解凍されるように回復します。
ボクはつい数年前まで高校時代の記憶が殆どありませんでした。というか、「関東の大学に来たら垢抜けたアート系な都会派男子として生まれ変わるんだ」くらいの勢いで四国の田舎から出てきましたので、自分の理想通りに女の子とコミュニケーションが出来ていないし成績だって一向に上がらない(と思い込んでた)高校時代を勝手に黒歴史に認定して、大学進学と同時に圧縮プログラムをかけてディレクトリの奥底に放り込んでしまっていたのです。
でも時が経ち、(そんなアーバンなアート系男子になんか、本当にデザイナーになったって生まれ変われるモノではないと悟り、)ある程度本当の自分の力で生きていけると自覚するようになり、ルーツを見つめ直す余裕が生まれたのか、SNSが流行る数年前から上京前の友人との付き合いが再開する過程で圧縮データが徐々に解凍され、自分が黒歴史だと思っていた殆どが他愛もない思い違いで、案外(それなりに嫌なエピソードも含めて)気楽で楽しい生活をしていたコトに気付き始めました。
それは昔を懐かしむ、ということではなく、自分を含めた人という存在を認め・赦すことが出来るところまで成長出来た、ということなのだと思います。
そういった中で、昔のクラスメートの思い出もかなり甦ってきました。かつては「彼女が出来ない→勉強も出来ない→人気がない→友達がいない→オレのコトなんで覚えられてもいない→クラスの思い出なんて皆無」まで飛躍した思考回路でしたが、近頃は友人と話しているうちに他の友人たちの顔や声、風景、長閑な日々のエピソードや友の言葉も当時の空気と共に思い出され、それによって逆に上京後に護身用に身に付いた固定された価値観(足かせにさえなっている)から解放されることもあります。
そういう意味でもクラスメートというのは大切だなと思います。
ところで写真は高校の修学旅行で富士急ハイランドに行ったときの写真らしい。ある意味絶妙なアングルとネムさが面白いので載せてみました。