2020年の東京でのオリンピック開催を素直に喜べない一人なのですが、皆さんとは私の観点は違うかもしれません。
19世紀に英国を中心に「スポーツ」という考え方が広まり、世紀末にフランスのクーベルタン男爵によって世界規模のスポーツ大会として提唱された近代オリンピックですが、近代オリンピックというのはそもそも競技参加者のためにあるのであって、権力の駆け引きや、国内外の政情や経済の問題の責任のなすり付け合いなど(これは我々のような一市民にも言えることですよ)「外野」同士が足を引っ張り合ったり罵り合ったり出し抜いたりする場ではないのではないかと思うのです。
それはクーベルタンがタルボット大主教の言葉として紹介した「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」や、自身の言葉である「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」に現れていると思うのです。
オリンピックに限った話ではないですが、最近のスポーツ大会の、観衆に「感動を強要する」「観衆の一体感を美化する」雰囲気作りと、そういう仕組みを作るために政界も財界も報道も努力を惜しまない姿勢に疑問を持ちます。
そもそも、スポーツとは、クーベルタンの提唱した近代オリンピックとは、もっとストイックな克己な精神論なものではないのか。今のスポーツ(オリンピック)は古代の見世物としてのコロシアムと何ら変わりません。こういうものが7年後に東京に来るのかと思うと、ちょっとウンザリしてしまうのです。